現代ミステリにおけるノックスの十戒
あるいはノックスの十戒における現代ミステリ


「ノックスの十戒」というのに聞き覚えがあるでしょうか?
ミステリファンなら「ヴァン・ダインの二十則」と並んでよく聞いたことがあるかと思います。
そのはるか昔に制定され、現代においては誰も守っていない「ノックスの十戒」。 しかし、逆に「ノックスの十戒」が現代ミステリ界にもたらした影響(あるいはその逆) という物を検証してみようという企画です。
最初に、認識していただきたいのは、影響というのは、素直に「ノックスの十戒」を利用するタイプの小説よりも、 「ノックスの十戒」を逆手に取った小説の方が強く影響を受けている、ということです。 これを認識した上で、以下の文章をお読みください

なお、制約をつけるため本格ミステリ作品(いわゆる新本格)に絞らさせていただきます。
勿論、社会派小説に「ノックスの十戒」からの影響を見ることが出来ますし、社会派ミステリは意外なほど ノックスの十戒に縛られていると言えるでしょう。しかし、実際の影響という点でははるかに本格にカテゴライズ される作品の方が受けていると思うからです。ここでは詳しい理由は述べませんが、そういう認識のもとでお願いします。


検証1:「ノックスの十戒」の第一項
「犯人は物語の冒頭、初期の段階から登場していなくてはならない」

ざっと、見たところこれは準拠されているように思えます。逆にいえば、これを逆手に取った作品はあまり見受けられません。
ただ準拠されているゆえに、全く事件の関係なさそうな人が冒頭に出てくると犯人というパターンが見受けられる程度でしょう。

検証2:「ノックスの十戒」の第二項
「超自然的要素や魔術的要素を物語に持ち込んではならない」

この一見当たり前そうな項目ですが、これが現代ミステリには大きな影響を与えていると言えるでしょう。 現代において、これを逆手に取った「SFミステリ」というジャンルが盛況を迎えています。
例をあげれば松尾由美『ブラックエンジェル』なんかがいい例ではないでしょうか? 被害者を殺したのはあのブラックエンジェルというのはわかるが、そのブラックエンジェルが何故被害者を殺したのか がわからない、という展開です。ブラックエンジェルというのは一種の魔術的要素かつ超自然的要素であり、 「ノックスの十戒」を逆手に取った傑作と言えるでしょう。 (松尾由美がSFが得意なだけで、ノックス云々は単なる深読みかもしれませんが)
さらには、「ノックスの十戒」を逆手にとって見事に返し技を決めた作品と言えるのが、西澤保彦の『念力密室!』でしょう。 「超能力で密室を作りました」と言ってるわけだから、当然密室で恒例だったHowdunit?部分は消え Whydunit?物のミステリと化するわけです。まさに、超能力を使用したからこそ出来たミステリであり、 『ノックスの十戒』を破ることにより奇想天外なミステリが出来たわけです。一種の「ノックスの十戒」から影響とも言えるでしょう。
上記の作品から言える事は、「ノックスの十戒」に「科学的には証明不可能でも、その超能力(魔術)によって引き起こされる現象(勿論、別の言葉でも可) が一定と定義されるならば使用は可能」の付加文章を付け加える必要性がありそうです。。

検証3:「ノックスの十戒」の第三項
「存在を推測する事が可能なら、秘密の部屋や秘密の通路は一つだけ許される」

何で、“一つだけ”のなのか理由がさっぱりわかりませんが…。
これをうまく利用したのは綾辻行人の「館」シリーズでしょう。(以下、綾辻行人「館」シリーズのネタバレ)
館シリーズにおいて、秘密の通路云々は第一冊目の『十角館の殺人』 は別にしても、第二作以降は中村青二が作った家には「秘密の通路がある」という共通認識があり、 存在を推測する事は可能であり、ノックスの十戒に準拠かつ利用しています(ついでに、十角館でも途中で推測可能です)。 しかし、ここからはノックスの十戒とは関係ない話ですが第四作目の「人形館の殺人」はその共通認識を上手く付いた作品です。 が、作者が気付いたかはわかりませんが困った問題も引き起こすのも事実です。 「館」シリーズで出てくる屋敷=中村青二の作った家=隠し通路有という共通認識を 平然と破ってしまったわけですから、自作からはこれは本当に「中村青二が作ったか?」という情報まで 怪しまなければならず、以降の十作目まで続くという「館」シリーズに悪影響を及ぼすのではないかと 個人的には思っています。(ネタバレ終了)

検証4:「ノックスの十戒」の第四項
「科学的未確定の毒物や、何度難読な説明を要する毒薬や小道具を使ってはならない」

前者は現象が一定なら使用可能と言えるでしょうが、反例が「名探偵コナン」ぐらいしか思いつかないので、 「名探偵コナン」を使いますが、「コナン」で出てくる殺人剤「なんとかかんとか」(←忘れた、知ってる人は 教えて下さい)は、体の細胞を収縮させて云々(細かい事は忘れた)、と現象が一定なので科学的にはさっぱり 証明されてませんが現象が一定である以上、「検証2」と同じく使用可能と言えるでしょう。
後者においては論外と言えるでしょう。ミステリはエンターテインメントであり、難解な説明のある エンターテインメントを好む人がいるとは思えず、「コナン」に出てくる毒薬にせよ、タイムマシンにせよ、 難解ではなく、これは絶対に準拠されるべきものと言えるでしょう。

検証5:「ノックスの十戒」の第五項
「中国人を重要な役割で登場させてはならない」

勿論、言葉どおりに取れば馬鹿みたいな項です。よって、誰も真剣に考えようとはしませんでした。 しかし、これはかなり重要な項だと思います。「中国人」→「魔術師」(あるいは超能力者)という言葉に置き換えると かなり現代ミステリに重要な問題といえる気がします。
(勿論、中国人が魔術師と言ってるわけではありません。ノックスの真意を考えるうえで こういう読み方をしているだけです。他意はありませんのでそこのことろはお間違いのないように…)
魔術(と超能力)については、第二項に関して検討しました。が、それを使える人が“重要な役割”で出す、というのは また違った問題と言えるでしょう。正確に言うと、重要な役割で出す分には検証2の結論を守っている限り 有効ですが、視点者という点では違った問題になるわけです
視点になっている人物が、普通と違う価値観を持っているのは 読者に混乱をもたらすだけですし、「ノックスの十戒」の第九項と繋がる話です。
従って、長年(一人称小説は)視点者は普通の人間を描くタイプが多かったと言えますし、意外ながら さりげなく「ノックスの十戒」を遵守していたわけです。
これからが本題なのですが、これを逆手にとったと言えるのは舞城王太郎以降一連の作家群でしょう。 例をあげるなら、佐藤友哉『フリッカー式』において視点者(この場合は鏡公彦)は 常識人(この場合は常識に縛れる人の意でプラスの意味ではない)からは少々理解し難い行動を取ります。 これは、作者の意識には「ノックスの十戒」にはないでしょうが、視点者は通常人という常識を 逆手に取ったと言うべきでしょう。佐藤友哉が一番顕著な例ですが、舞城以前にもこれを逆手に取った ミステリというのがチラホラ見受けられます。
「ノックスの十戒」との関係はなさそうですが、一種の「ノックスの十戒」(というより、小説の常識)からの 影響と言えるでしょう。

検証6:「ノックスの十戒」の第六項
「偶然の発見や探偵の直感によって事件を解決してはならない」

「ノックスの十戒」って、現代から見れば訳のわからないことを述べている場合が多いですが、 これと第八項は賛同しますね。まさに、そうなんですけど現代ミステリにおいてこの項は破られています。
といいつつ、なかなか反例が思いつきません。強いて言えば、JDCにそういう探偵がいるぐらいしか思いつきません。 すいません、著者の力量不足です。誰かかいてください…(泣)

検証7:「ノックスの十戒」の第七項
「探偵自身が犯人であってはならない」

…これについてはネタバレ無しで語ることは不可能なので飛ばします。

検証8:「ノックスの十戒」の第八項
「読者の知らない手がかりによって解決してはならない」

当然です。本格ミステリは比較的守っている傾向があります。舞城王太郎と言った作家でも ちゃんと手がかりは出てきますし。
しかし、現代ミステリに関してこれを逆手に取った傑作とは言えないでしょうが、 探偵が読者の知らない手がかりによって真相を知っているというパターンも有り得るでしょう。 例が思いつかないのですが、「読者に公平に開示された手がかり」によって解決したように見せかけて 本当は最初から全然違う手がかりで真相を知っていたという、ガクンと抜けそうな小説ですが、 ちゃんと本格作品です。何故なら、「読者に公平に開示された手がかり」から真相を推理出来るからです。
例がなかなか見当たらないので、恥ずかしながら拙作 「クリスマスツリーは高すぎる」を使用させていただきます。
拙作においてマスターは一見、読者に公平に開示された手がかりに寄って推理したように見えますが、 もしマスターがニュース報道を見ていれば、簡単に真相が推理できるわけです。
この作品自体はそういうオチになっていませんが、もしそういうオチなら読者に「馬鹿か!」と 言われそうですが、ちゃんと読者が推理すれば真相にたどり着けるかもしれないので(この場合、唯一無二の解答とは限りませんが)、 アンフェアとは言えません。ただし、探偵役の探偵能力は危ぶまれますが…。
従って、現代ミステリの観点から言うならば「読者の知っている手がかりによって読者が解けなければならない」 という風にいえると思います。

検証9:「ノックスの十戒」の第九項
「ワトソン役は彼自身の判断を全て読者に知らせるべきである。 そして、その知性は平均的な読者の知性を僅かに下回っていなくてはならない」

この項目はかなり問題があると言えるでしょう。 まずは前者の話ですが、小説論的には「一人称小説であるならば、 すべて頭の思考も伝える必要性がある」と言えるでしょう。 ただ、ミステリ的にはかなり怪しいと言わざるおえません。何故なら、ワトソン役の思考の内容など 間違っているのが大抵で、何の役にも立たないうえに(逆に役たっていると言えるが、必ずしも必要とはいえない)、 叙述トリックの鉄則が崩壊しかねないので、どちらかというと無視すべき条項だし、現代ミステリにおいても ことごとく無視されている為、判例をあげる必要はないでしょう。
後者は、意外ながら遵守されていたと言えます。有栖川有栖(特に、学生)はちょっと頭鈍そうだし…、 法月警視も老齢のせいか頭の回転が読者よりも良さそうには見えません。
ただ、もし前者(すべて思考を伝えるならば)を実行できるならば、後者の必要性は全くありません。
従って、この項は絶対必要とはいえない項目と言えるでしょう。そうやって、生まれたのが検証5でも出した 舞城以後という物じゃないでしょうか?

検証10:「ノックスの十戒」の第十項
「双生児や変装による二人一役は、その出現を自然に予測できる場合を除いて登場させるべきではない」

…これについてはネタバレ無しで語ることは不可能なので飛ばします。

あとがき

疲れました。こんな、10項目も真面目に検討出来るわけもなく最後らへんは意味不明な文章の羅列となってしまいました。
ここまで、全て読んだ読者の忍耐力に敬意を表します。
なお、ご覧の様に数々の作品を引用しましたが、数々の拡大解釈をやっています。 拡大解釈というのは百も承知なのでお許しください。
なお、検証8への違った形の反例としては麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』があると後で気付きましたが、 もう疲れたのでやりません。

参考文献

松尾由美『ブラックエンジェル』(創元推理文庫)
西澤保彦『念力密室!』(講談社ノベルス)
綾辻行人『人形館の殺人』その他の「館」シリーズ(講談社文庫)
佐藤友哉『フリッカー式』(講談社ノベルス)
麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』(講談社文庫)
清涼院流水『ジョーカー 清』(講談社文庫)←実はこれからノックスの十戒を引用してきました。乱歩じゃなくてすいません
with クイーンの某作品

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