北川伝説
the legend of Kitagawa
プロローグ
北川ダムに身元不明な死体
 F県F市北川にある北川ダムで身元不明の死体を通行人の男性が見つけ110番通報をした。死体は取水口の所にひっかかっており 、死因は溺死と見られている。警察は身元の確認を急ぐとともに、事件と事故の両面から捜査を進めている。
(昭和61年8月13日付 N新聞より)

北川ダムの死体の身元、いぜん不明
 三日前、北川ダムで発見された死体の身元が、いぜん確認されていないが、顔などから二十歳代前後ではないかとみて調べを進めている。死亡推定時刻は十二日の二十二時から二十四時頃と見て、聞き込み捜査を続けているが、有力な情報はまだ得られていない。
(昭和61年8月16日付 A新聞F地区版より)
CHAPTER1

私はコンテナから降りて辺りを見回した。
ずっとコンテナに座っていたせいか、やけに
くるぶしが痛い。しかし、こんな所で休んでいる暇はない。なぜなら、工作員としての仕事があるからだ。

土曜日の昼下がり。照り返しの激しいアスファルトには太陽光線がサンサンと降り注ぎ反射熱で暑い事この上ない。 ここの所、まだ四月というのに連日二十五度を越えるという猛暑が続いていると昨日テレビで行っていた。 はっきり言うとこの学生服なんぞ脱ぎ捨てたいぐらいだ。 ひじり聖が大粒の汗が流れる顔を上げると、突如として、後ろから肩を叩かれた。
「ねえ、聖」
後ろを振り向くと犯人は東玲奈だった。別にこいつが人を驚かさせるのは今に始まった事ではない。 それにしても、こんな暑さの中よく無事でいられるのがまず凄い。
「何だよ」
いつもの通り、無愛想に聖は答えた。勿論、いつもの口調を保ったのも事実だが、それ以上に暑さが犯人だ。 そんな聖の返答にも一向に頓着せず、そのまま妙な笑顔を顔に貼り付けて話を続ける。
「北川伝説って知ってる?」
「キタガワデンセツ?テレビドラマかなんか?」
聖は北川伝説をテレビドラマと思ったのだ。玲奈は苦笑しながら、訂正した。
「テレビ番組じゃないわよー」
「はあ?聖竜伝説みたいなドラマかなんかじゃないわけ?」
聖は大昔終わったテレビドラマの名前を口に出した。何故か不意に名前を思い出したのだ。 あの時の主演誰だっけな?最近、見かけないような気がする。
「違うってばー。北川伝説というのは、昔、そこの北川ダムで人が死んで・・」
「俺、オカルト趣味ないんすけど」
いつも、現実的主義者の典型みたいな態度を取っているから、そんな事クラスの中では周知の事実と化している。 これでも、中学時代は通称「オカルト研究部」という部を率いていたということを知る人間は少ない。 最も、オカルト研究部は通称で、正式名称は「ミステリー・SF・ファンタジー研究同好会」というのだが、
「でも、ミステリーは好きでしょ?」
聖はカーやクイーン、クリスティなんかを語らせると、相手構わず喋りだす。肯定しかしようがない。
「まあね」
「じゃ、決まりね。今日二時にうちにきて。」
「えー。俺、玲奈ん家入ったことないんだけど」
玲奈の家は地元ではよく知られた旧家で、躾が厳しく、聖と玲奈の交際だって両親の公認というわけではない。 (クラス内では公然の秘密化はしているが)おそらく、ああいう旧家では親父さんが将来の花婿を探してるだろうし。 永遠立ち入り禁止令でも受けそうである。そんな勝手なことを考えている聖の心を見通したように玲奈が言った。
「今日は法事で、家に誰もいないの」
聖は余り気が進まなかったが、適当ないいわけも思いつかなかったので、仕方なく頷いた。
 

「いいのかな、女の子一人の家に入って」
「別に構わないわよ」
と、言いながらも玲奈はとっとと、広い日本屋敷の中を歩いて行く。それにしても大きい。 一時期の地価上昇ブームの煽りを受けて買った聖の家はかなり狭い上に、ローン返済が大変である。 親の事業がバブル崩壊で失敗していれば、恐らく路頭に迷うことになっただろう。
「こっち、こっち」
玲奈は手招きしながら、暗い倉庫らしき部屋に案内した。 そこは部屋の上の方に小窓があるのみで、他に明り取りらしきものはない。
「こりゃ、すごいな。1980年のカレンダーがあるよ。博物館にでも寄付してみたら。 懐かしき昭和の歴史展かなんかの時に展示されるぞ、これは」
玲奈は聖の下らない冗談を適当に受け流して、倉庫の奥の本棚に歩みよった。 玲奈は前々から気づいていた、あの因縁のファイルに手を掛けた。 黒い古ぼけたファイル。厳重に紐で封印してある。ただ、紐も時の波には勝てず簡単にちぎれそうである。
「なに、これ」
聖がめずらしく素っ頓狂な声を上げた。玲奈が崩れないように紐を解いて表紙を開いた。聖が覗き込んできた。
〈北川ダム殺人事件及びその後の北川伝説について〉
さらに下には甲斐正という名前と注意書きが載っていた。聖はだいぶ擦り切れているこの注意書きを、顔を近づけて読んだ。
〈この推理禄はいたって個人的な物です。証拠も揃っていませんし、確認もしたことが、ありません。しかし、北川伝説の呪いは、このファイルにも及んでいます。もし、他人がこのファイルを開いたとき、北川伝説は本当の物になるでしょう。〉
「呪い?ふざけんなよな。脅しじゃねえか」
と聖は嘲笑った。
「本当に呪いにかかった人がいたのよ」
玲奈はできる限り抑揚をつけずに言った。聖の目がこちらに注目する。
「私の従兄弟。と言っても、私の母親が末っ子だから、上の姉と七つくらい離れてたの。その姉、私から見ると伯母にあたる、方の子供だったから、私とは十以上離れてた。名前は加藤真一。私が十二歳のとき」
「前置きはどうでもいいから、早く本題に入れよ」
聖がせかす。
「そうね、このファイルの怖さをわからせるには、この話をした方が良さそうね」
聖はいつもと余りにも違う私の口調に、鳥肌がたったみたいだった。

 彼は希望に満ち溢れていた。全国屈指といわれる国立大学の医学部の学生だった彼には明るい未来しか見えていなかった。子供の頃、病弱だった彼には子供の頃から大人になったら医者になる、と決意していた。ここまで、順当にステップを踏んできた彼。バラ色の人生しか見えていなかったのも無理はない。思わず、運命の悪戯としか呼びようがない事故だった。
 彼の家では盆は一家揃って一年置きに、父母の実家に帰るのが恒例になっていた。
その年は父方の年だったが、父方の実家の方には事情があっていけなくなった。そのため、母方の実家に帰ることになったのだ。これもまさしく、運命の悪戯としか呼びようもない。母方の実家に帰った彼だったが、帰った直後に祖父が倒れたとのこと。医者の卵である彼が駆けつけると、特に祖父に以上はなく、庭に来ていた猫を追いはらおうとして、転がっていたファイルにつまずいたとのこと。一安心して、ファイルをそのまま窓際に追いやって、放置しておいた。彼が死んだのはそのすぐ後だった。

「何故かわかる?」
私は聖に問い掛けてみた。ここで自称ミステリファンの聖の力量を試してみようと思ったからだ。聖は考え込んでいたが、「まさか」と呟いた。
「ひょっとして、その従兄弟の死因は焼死かい」
「ええ」
私は自分でも今度も驚くぐらい全く抑揚をつけずに言った。
「こんな、馬鹿なことがあるわけ?」
聖はひとりでぶつぶつと呟いていたが、あたしが止める間もなく、一人で勝手にファイルを開いた。

その時、この小さな集落にピストルの銃声が轟いた。
 

CHAPTER2

私は目的の家に着いた。このプロジェクトはF県F市のアズマという家にある1986JWNCプロジェクトの重要な情報を消すために。窓から覗くと、高校生ぐらいの少年と少女が例の物を読んでいた。誰かはわからないが、威嚇のつもりで引き金を引いたのだ。

何が起きたのか全く把握できなかった。唯一判っているのは、部屋の中に銃弾が打ち込まれたということだけ。呆然自失状態の二人だったが、始めに動いたのは聖だった。
「じゃあな、警察に連絡しとけよ」
「あっ、ちょっと逃げないでよ」
もう、部屋から出ようとしている聖のTシャツを私は夢中で引っ張った。
「なんで、逃げるのよ」
聖はチラッとこちらを見た。その目は私を落ち着かせるには、十分だった。私は気付かぬ間にじ自分の手を聖のシャツから離していた。
「あと、よろしく。俺がいたなんて言うなよ」
それだけを言い残すと聖は外に出て行ってしまった。鈍感な私はようやく聖がいうべきせんことが判った。

「では、はやさか早坂聖を犯人と断定していいのですね」
若い巡査長が警部に確認した。
「ああ。銃声が聞こえた後、早坂逃げているのを複数の人間が見ている。たぶん、早く言えば、お決まりのパターンだ」
警部は嫌に断定的に言う。
「しかし、高校生が銃なんて持っていますかね」
「その点も調べがついている。早坂家はそもそもF藩の銃を教える教師の家系だったらしい。俗に言う、指南役?早坂聖は分家の生まれだが、本家の方には許可を取った銃がある」
「今、その銃は何処に」
「数年前から、行方不明らしい。おそらく、早坂聖が盗んで、今まで隠していたのだろう」「警部。使用した銃弾に関してですが、32ACP弾に非常に類似していますが、重さがやや違います。口径は7・65ミリです」
「使われた弾も判定不能ということか」
「はい。世界で使われているどの銃弾とも一致しませんでした」
「生産中止のもか」
「はい。判っているものは全て調べましたが、どれも、あてはまりませんでした」
ここまで、鑑識が喋った後に、巡査長が割り込んできた。
「新開発の可能性は?」
「当然あります。ただ、現状を見る限り、32APC弾の類似品と考えられます」
「線状痕は?」
再び、警部が発言した。
「今回発射された銃弾には、全く線状痕ありませんでした」
線状痕とは弾に残る傷跡で、何度も撃っていると銃の内側に傷がつき、それが傷跡となって弾に残る。つまり、鑑識が調べればその銃から発射された弾ということがわかる。ただ、内側に全く傷の付いていない新品を除き。
「ということは新品か?」
「そうなりますね」
ここで、再び巡査長が間に割り込んできた。
「スパイでしょう、おそらく。新開発の武器を持っているとなると」
「その可能性もあります」
鑑識が真顔で言った。その声に触発されたように警部は叫んだ。
「うるさい!お前は下がっとけ!スパイ小説の読みすぎだ!ともかく早坂を捕まえろ」
警部が叫ぶと、巡査長が反論した。
「警部、高校生が新開発の銃を持っているとは思いませんけど」
巡査長の正論には全く耳を傾けず、ひそかに部内で囁かれている仇名がプッチン警部は叫んだ。
「うるさい!どっちにせよ、早坂は重要参考人だ。それから、早坂の本家を家宅捜索しろ」
巡査長は不満そうな表情をしたが、仕方なく頷いて部屋を出て行った。プッチン警部に切れられたら、とっとと、逃げるに限る。

「聖、お願い。逃げて」
携帯電話からは玲奈の涙声が聞こえてくる。
「おい。落ち着けよ。何があったんだ」
実を言うと、聖は市の図書館にいたのだ。銃が撃たれる直前に、少しだけだが例のファイルを見たのだ。その時に、1ページ目に貼ってあった新聞の日付を覚えてきたのだ。
「昭和61年8月16日」
と、小声で呟きながら図書館で古い新聞にあたっていた時に、玲奈からの電話が入ってきたのだ。
「お願い、早く逃げて」
あい変わらず、携帯からは玲奈の涙声が聞こえてくる。
「だから、何なんだよ。落ち着け。ゆっくり説明しろ。親父に見つかったのか」
ようやく玲奈は説明をしだした。
「あたしもね、さっき知ったんだけど、この発砲事件の重要参考人として、聖の名前が上がっているのよ」
「はあ。何で俺が出てくるんだ。だいたい、俺は銃なんか持ってないぜ」
「聖の本家には銃があったって本当なの」
たしかに、昔そんな話を父親から聞いた事があるような気がする。
「なんで、そんな事お前が知ってるわけ」
「そんなこと、どうでもいいわよ。今はともかく逃げて」
「バカか、お前は。ここで逃げたら、私が犯人ですって、言ってるようなものじゃないか」
さすが、聖だ。常にクールに返してくる。
「警察は、それでいいわよ。あたしのお父さんには何て言うのよ」
「ありのまま話せばいいじゃないか」
玲奈だって、そうした方が聖の疑いが晴れる可能性が高いという事ぐらいは分かる。でも、玲奈は警察よりも、銃よりも、父親が怖かった。聖と父親。このジレンマに玲奈は発狂しかけていた。
「ともかく、逃げて」
自分でも気づかないうちにヒステリックな声になっていた。
「何処に逃げろって言うんだ」
玲奈が徐々にヒステリックになるのに反比例するように、聖は徐々にクールになっていく。
「逃げるといっても、日本は狭いぜ。絶対見つかる」
聖のクールな口調は、玲奈の精神状態にさらに追い討ちをかけた。
「もう、早く逃げて―!」
最後に玲奈はヒステリックな叫び声を上げて、電話を切った。

玲奈は受話器を下ろすと、ため息をついて、座り込んでしまった。こんな叫び声を上げたのは久しぶりだ。自分は聖まではいかなくても、女の子の中ではクールな方と思っていたし、よく「玲奈ちゃんって冷めてるわねー」と言われた。玲奈はなぜ自分がこんなに落ち着きをなくしたのかわかっていた。何かを忘れているのだ。重要な何かを。そして、甲斐正という名前も玲奈は聞いた事はなかったが、体のどこかが覚えているのだ。

聖はあきれた顔で切れた電話を見た。全く、玲奈は何を考えているのだろう。いきなり、電話してきて、荒唐無稽な話を聞かせて、いきなり自分で切って。だいたい、何で俺が犯人なんだ。そもそも、聖の方がどっちかと言えば被害者なのだ。全く警察は何処を見ているのだろう。考えれば考えるほど頭に来る。気持ちを落ち着かせようとして、窓の外を見た。何気なく、隣のビルの電光掲示板を見た、聖は思わず声を上げるところだった。

F市北川にある東さんの宅に銃弾が打ち込まれた。犯人は近くの学校に通う高校生と見て、現在、その少年を追跡中。

電光掲示板だから、ニュースは詳しくは流れない。それでも、この高校生が誰を表しているかは一目瞭然だ。その時、隣で本を読んでいた中年の男が声をかけてきた。
「早坂聖君だね。今のニュース見てくれたかな」
 

CHAPTER3

 私は銃を打った後、その部屋に入ろうとした。しかし、日本のPM警察官が走ってくるのが見えたので、入るのをやめ、隠れた。一回目のアタックは失敗した。私に残された時間は後5日しかない。

「待て、早坂!」
声とともに複数の足音が聖を追ってきた。どうやら、複数の警官が配備していたらしい。聖は入り口に向かったが、外側に隠れている可能性もあるのでやめた。しかし、止まるわけにはいかない。聖はすぐそこにあった本を警官隊に投げつけ、一瞬ひるんだ隙に警官たちをまき、トイレの窓から逃げた。これが聖の長い逃亡劇の始まりだった。

 寝ようとして、玲奈が自分の部屋に入ると、机の上においてあった携帯電話が鳴った。玲奈がモニターを見ると、聖からのメールだった。
「現在、小宮町。明日、十時ごろ大賀駅に来い。返信はするな」
小宮町とはF市の隣町で、六十万都市のF市のベットタウンになっている。それでも、F市立図書館から、小宮町は遠い。徒歩なら、高橋尚子ペースで走らなければならない。おそらく、自転車を盗んだのだろう。玲奈は聖の携帯に電話をかけたが、つながらなかった。多分、追跡を避ける為に電源を切っているのだろう。

 聖は、眠れない一夜を過ごした。カプセルホテルに泊まろうと思ったが、危険だし、余りお金もない。それ以前に小宮町には、カプセルホテルが一軒もない。(タウンページを見て分かった)仕方なく、昔ホームレスが使っていたらしいダンボールハウスに寝っころがった。上を見上げると星が輝いていた。

「何、早坂を逃がした?図書館に追い込んだってお前言ったではないか。」
警部が巡査長を叱りつけた。
「はい、追い込みましたが、窓から逃げられました」
「お前、何年、刑事やってるんだ」
怒声と一緒に机を叩き、机の上についであったコーヒーがこぼれた。
「すいません」
その時、デスクの上の電話が鳴った。警部は乱暴に受話器を取った。
「はい、刑事二課」
「警部ですか。こちらは通信課です。輪白交番駐在員が午後五時ごろ、F市の輪白付近の国道*号線で目撃したそうです。彼は上り方面に自転車で向かったそうです。以上」
あっという間に電話は切れた。
「輪白付近の国道*号線の上りをずっと行くと何がある?」
巡査長は地図を見ながら言った。
「輪白の交差点を直進すると、小宮町、大賀市、津谷崎町、原界町、宗方市、足屋町、北八市と続きます」
「北八市は大きいな」
「はい。人口は五十万人、県二位の人口です」
「そんな事、言われんでも分かるわい!」
再び、コーヒーがこぼれた。
「すいません」
「それよりも、小宮町と大賀市の警察に連絡しろ」
「はい」
巡査長は小さくなって、部屋を出て行った。

白昼の住宅街に銃声
 F市北川にある、東隼人氏(43)=会社員=宅に銃弾が打ち込まれた。家の中には長女の東玲奈(17)さんがいたが怪我は無かった。警察は、東玲奈さんと同じ学校に通う少年(17)を犯人と見てこの少年を捜索している。(平成14年四月二十八日付 Y新聞F地区版より)

「申し訳ありません。開けた穴は弁償します。本当に申し訳ありません」
聖の父と母が、玲奈の両親に頭を下げている。玲奈の両親は難しい顔をしている。玲奈はすばやく助け舟を出した。
「あまり、気になさらないで下さい。まだ、聖君が犯人と決まったわけじゃありませんし、絶対に聖君は犯人じゃありません。それに、誰も怪我なんかしていませんから」
しかし、これは逆効果だったらしい。
「いえいえ、すいません。万が一、お嬢さんに怪我なぞさせたらもう私は・・・」
といいながら、聖の母親はハンカチで涙を拭いている。玲奈はさりげなく席を外し、急いで外に出た。

玲奈が電車に乗っていると聖からのメールが入ってきた。
「何やってんだよ」
聖からのメールだ。玲奈は慌てて打ち返した。
「あなたの両親がうちに来て、謝罪してからよ。今、電車だからもうすぐ着く」
時計は十時十一分を指していた。その時、車内放送が入った。
「大賀、大賀です。ご乗車ありがとうございました」
電車は大賀駅のホームに滑り込んだ。玲奈は電車を降り、改札を出た。しかし、そこにいたのは聖ではなく警察だった。

聖は大賀駅のホールで待っていたのだが、駅のロータリーにパトカーが止まったのを見て、駅の構内に逃げ込んだ。その時、玲奈が改札から出てきたのを見て、キヨスクの陰から手招きしていたのだが、警官の方が先に気づきこっちに向かって走ってきた。

警官が走っているのを見て、その先に、聖がいる事を確信した。玲奈は警官を追って走り出した。しばらく、なれない駅の構内を走っていたのだが、突如、後ろからシャツをつかまれた。慌てて、後ろを振り向くと、聖だった。
「相変わらず、鈍いな」
「聖…」
玲奈は嬉しくて涙を流していた。
「大げさな奴だな」
どんな時にも聖はクールに対応する。
「さ、早く警官が追いかけてくる」
二人は駅の従業員口から逃げ出した。
 

CHAPTER4

 私は、二度目のアタックに関して、国際電話をかけて、作戦を検討した。このプロジェクトの統括責任者のキムヨンナン金栄男は、もう一発銃を発射する事を主張した。私は反対したが、それ以外方法がなさそうなので、承諾した。

「いいな、1986年の8月16日に何が起こったのか。これが第一の謎だ。そして、なぜ俺達がファイルを開こうとしたら、銃が発射されたのか。これが第二の謎だ。そして、このトリックの犯人が誰なのか。これが、最大の謎だ」
「この前の従兄弟の話は?」
「あれは、単なる偶然、いやかなり珍しいな。
ペットボトルで焼死とは」
どうやら、聖は簡単に真相を暴いていたらしい。一時、ペットボトルを玄関に置いとくと、野良猫が寄ってこないとの噂が立ち、祖父はそれを実行していたのだ。それで、日光がレンズの代わりをして、縁側で火事が起ってしまった。
聖は一通り、説明した後、玲奈に確認をもとめてきた。その通りでなので、玲奈は頷いた。

ここは、大賀市内の海岸にある松林の中。駅の駅の裏口から脱出した二人は、聖の自転車に二人乗りをして、ここまで来たのだ。波の音が響いてくる。
「じゃあ、ファイルの謎は?」
「俺の推理だと、あのファイルにはかなり重要な秘密が書かれているのだと思う。だから、他人に見せてはならない。しかし、とって置く必要性があった。ここまでは同意できる?」
玲奈は頷く。聖がさらに続ける。
「だから、ファイルを開くと、自動的に弾丸が発射される仕組み━多分、電気信号と思うけど━になっていたと思う」
「違う、違うわ」
玲奈は無意識のうちに口走っていた。
「は?何が」
「違うわ。仕組みじゃない。人間が撃っているわ。きっと」
「なんで、そこまで断言できるわけ?」
聖が気持ち悪そうに言った。玲奈はもどかしかった。何か、重要なことを忘れているのだ。この事件に関する何かを。玲奈は遂に言った。
「思い出せないの」
「何が」
「分からない。でも、あたしは重要な事を忘れている。この事件に関する、というより北川伝説に関する『何か』を」
北川伝説―そう言えば昨日玲奈が言っていた。あのファイルに書かれていたのも、北川ダム殺人事件と北川伝説だった。
「『何か』って何」
聖は当たり前のような質問をした。
「分からない。だから、『何か』なのよ。でも、『何か』は自分の記憶の中にはある。でも、あたしはその記憶に『鍵』をかけていると思う」
「鍵?」
聖は聞きとがめた。
「うん、そう鍵。例えば、子供は何かショッキングなことが起きると、その記憶を封印しようとする。そんな感じと思うわ」
玲奈の説明はいまいち釈然としない。
「で、何で今ごろその忘れた記憶が出てくるわけ?」
「わかんない。でも、たぶん今の状態が当時の状態に似ているんだと思うのよ」
この玲奈の声は聖に語りかけるというよりも、玲奈本人に語りかけているような感じである。
「まさか、デジャ・ブとか言うんじゃないだろうな」
聖が気味の悪そうな顔で言った。この言葉に玲奈は思わず手を叩いてしまった。
「そうだよ、そう。デジャ・ブだよデジャ・ブ。あたしの現在の状況はその言葉がぴったりだよ、うん」
玲奈は一人で納得してしまっている。
「ま、デジャ・ブ云々は置いといて、玲奈は市の図書館に行って当時の新聞をあさってきて欲しい。それから、できれば水道局の歴史かなんかの資料。それをコピーしてきて。よろしく。待ち合わせ場所は後で教える。わかったか」
玲奈は深々と頷いた。

大賀からの帰り道、玲奈の向かい側の席には3歳ぐらいの女の子をつれた中年のおばさんが座っていた。
「マサミちゃん、おなかすいた?」
「うん」
向かい側では、ほのぼのとした会話が続いていた。しかし、玲奈はもう二人の会話は聞いていなかった。マサミ…どこかで聞いた。そうマサミという声を。「マサミちゃん、ご飯よ」という声を。

「雅美と、俊一。ご飯よー。」
20代後半ぐらいの女が叫ぶと、3歳ぐらいの男の子と女の子が、廊下から走ってでてきた。開け放れたドアからは、夕日がこぼれ出ている。
「いただきまーす」
男の子と女の子は、声を揃えて言った。その時、玄関の鍵が回され、これまた20歳後半ぐらいの男が入ってきた。
「パパ、お帰り」
と、女の子が叫んで箸を置いて、玄関まで走って行った。
「ただいま、雅美」
男は、女の子の頭を撫でると、リビングに入ってきた。女は立ち上がり、台所にビールを取りに行った。

「なに?また、早坂を逃がした?ふざけるな、お前!」
警部は、電話機に向かって叫んだ。
「すいません。また裏口から逃げられまして…」
「お前は何年、刑事をやってるんだ?裏口も警備しとけ!」
「すいません」
巡査長の言葉は徐々に小さくなっていく。
「明日までに、絶対捕まえろよ!どうしても、というなら大捜査網でもひけ!」
「大捜査網ですか?」
「そう、大賀だけじゃなくて、津矢崎や原海にもしけ。足らんかったら、宗方からでも連れて来い。
最終手段としては、北八市警も動員しろ!」
「発砲事件の重要参考人のためにですか?」
たしかに、発砲事件の重要参考人のためだけなら大げさすぎる。
「余計なことをいうな!、御託は早坂を捕まえてから言え」
警部の声は刑事二課中に響いている。
「は…はい」
「よろしい」
警部は満足気に受話器を置いた。

異例の大捜査網がひかれた夜、聖はF市内に戻ってきていた。このお陰で聖は捜査網に引っかからずに、見事に逃亡したのだ。聖はなぜか、あのファイルに重要なことが書いてあると確信していた。聖はゆっくりと芝生の上に横になった。
「きれいは穢ない、穢ないはきれい。さあ、飛んで行こう、霧のなか、汚れた空をかいくぐり」
聖の口から思わずそういう言葉が出ていた。たしか、シェイクスピアの『マクベス』の一節だったと思う。百万都市F市の汚い空の向こうには、月と赤いチカボシが並んであった。あの、チカボシが吉と出るか、凶とでるか。聖は思わず暗闇の中でニヤリとしてしまった。

 東家の玄関に二発目の銃弾が打ち込まれた。両親が玄関に駆けつけた。二階から見ていた玲奈は走り去る女の姿を捉えていた。あのファイルを持って。
 

CHAPTER5

 私は玄関に銃弾を打ち込んだ。家人が玄関に集まった隙をついて、倉庫に潜り込みあのファイルを持ち出した。あとは、このファイルを焼却すればいいだけだ。

 玲奈は気づいたら、家の外に出て女を追っていた。女はしばらく走り、バス停のところで、止めてあった車に飛乗った。車種はNASSANのキュープだ。ナンバーは「F51 わ 3481」。後ろの窓に貼ってあるステッカーは「アリックスレンタカー なみかた波方支店」。大丈夫、これだけの証拠があれば。玲奈は暗闇の中で、紺色の車を見送った。

「は?早坂がまたやった?東家に」
警部は刑事一課中に聞こえる声で言った。
「はい、最も、東玲奈の証言は違いますが…」
「東玲奈?ああ、あの家の娘か」
「はい、彼女は銃撃音の後に逃げる人影を見たと言って…」
「うるさい!そんな、証言があてになるか!早く早坂を捕まえろ!本当に、犠牲者がでるぞ!」
警部はデスクを叩いた。スタンドが揺れる。
「今日、大賀駅に奴は現れたんですよ。自転車では少し厳しいですよ」
「電車を使えばいいじゃないか」
「あ、はあ。しかし、電車じゃばれるんじゃないんですか?」
「お前、阿呆か。指名手配もできないんだぞ。一般住民は顔も名前も知らないんだぞ」
早坂聖は未成年だ。少年法が聖の名前と、顔を隠している。
「あ、そうでした」
「お前、何年刑事やってんの」
「ああ、すいません。早坂を明日までには必ず捕まえます。失礼しました」
言い終わらぬうちに、電話は切れていた。

二日連続…住宅地発砲事件
 先日、銃弾が打ち込まれた東隼人氏(43)=会社員=宅に、再び銃弾が打ち込まれた。今度は玄関に打ち込まれ、銃弾及び使用された銃は同一である可能性が極めて高いと思われるが、ただいま、警察で鑑定を急いでいる。警察ではこの発砲事件も17歳の少年と見て、現在この少年の居所を調べている。

 携帯の電源を入れると新着メールが数件。玲奈から一通あった。慌てて、それを開く。
「至急、アリックスレンタカー波方支店に行って。事情は後で話す」
その呪文みたいな文章に、聖は釈然としなかったが、自転車のハンドルをきり、波方方面に向かった。

「雅美、お父さんとお母さん何やってんの」
 女の子が呆然としているところに、男の子がやってきて聞いた。ダムの橋の上では、男と女がもみ合っていた。その時、女が男を突き落とした。男は叫びながらダムに落ちていった。女は走り去った。女の足音と、男の叫び声がダムにこだました。

 向こうから、一台の車がやってきた。聖と玲奈は頷いて、ナンバーをチェックした。あっている。
この車がくる前にすでに、聖には打ち明けていた。雨の中を、ワイパーが激しく働きながら、車はアリックスレンタカーの中に入っていった。しばらくすると、黒い服を着た女雨の中傘を差しながら入り口から現れた。玲奈はその時、自分の耳を疑った。
「待て!アンヨンヒ安栄姫!」
聖が女に向かって言ったのだ。相手の動作が一瞬止まった。しかし、すぐに落ち着きを取り戻し、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「こんにちは。早坂聖君」
今度は聖の方が動揺していた。しかし、すぐに恐ろしく低い声で言った。
「ファイルを返せ」
女と聖の目に殺気が浮かんでいる。
「昨日、北川の東家から盗んだファイルを返せ」
聖は繰り返した。聖はその間にも一歩一歩、女に近づいていた。その時、女は微笑しはっきりとした声で言った。
「よくご存ね。でも、このファイルは渡せないわ」
「何故だ」
聖の質問に、女は微笑したまま答えず、ゆっくりとその場を立ち去った。残された二人はあっけに取られて何も動けなかった。

女が去って行った後、すぐ近くの公園に入り、屋根のある東屋で雨宿りしていた時に玲奈がポツリと言った。
「あたし、あの人見たことある」
「そら、そうだろ。お前は窓からあいつを見たんだから」
「いや、違う。あたしはそれ以前にあの人を見たことがある。長い時間」
「また、デジャ・ブとかいうのか」
あきらかに、聖の口調は玲奈を馬鹿にしている。
「うーん、そんな感じ。はっきりはわからないけど」
玲奈の口調は頼りない。
「あいつ、朝鮮人なんだぜ。なんで、お前が知っているわけ」
「あっ、そう言えば、なんであの人の名前がわかったわけ」
聖は無言でポケットの中を探り、玲奈の目の
前に、紙を見せた。
「なに、これ」
「俺の先輩が、探偵社に勤めてて、ここに来る前に駅前に寄って先輩に頼んで、そこのデーターベースから抜いてきたもの」
「なんで、この甲斐栄姫という人が、この発砲事件の犯人と分かったわけ」
「ごもっとも。ま、直感って奴。あのファイルの関係者がこの事件の犯人じゃないかと思ってね、調べてみたわけ」
「ところで、この甲斐正という人はどうなったわけ」
甲斐正は名簿のトップ、扶養者の欄にあった。
「死んだ」
「えっ?」
「北川ダムから突き落とされて死んだらしい。他殺じゃないかと思われて捜査されたけど、迷宮入り。えっと、殺人の時効は15年だから、もう時効だな」
あのファイルの作成者が死んだ…。玲奈はがっくりきたが、気を取り直し質問した。
「この子達はどうなったの」
その名簿には、二人の男女の子供たちが書かれている。
「しるかよ。多分、育児院に預けられて、今頃高校生でもやってんじゃないの」
「育児院の子供は高校は無理よ」
「奨学金で行ってるかもしれないし、どこかの親戚に引き取られたかもしれないじゃないか」
玲奈は聖の反論をさらりと受け流した。
「この子達、双子なのね」
甲斐俊一の誕生日と、甲斐雅美の誕生日はおなじである。
「でしょうね。実は俺、こいつらと、誕生日一緒なんだよ」
聖の誕生日は名簿と同じ、1984年6月13日。
「でも、あの人、追わなくていいの」
聖はニヤリと笑っておそろしく明るい声で言った。
「大丈夫だ。奴は必ず戻ってくる」

 

CHAPTER6

 私は驚いた。まさか自分の名前が呼ばれるとは。まさか、マークしていた少年に。この母国から離れた土地で。一刻も早くこのファイルを焼きたかった。しかし、私は決めた。あの少年をこの世から消し去る事に。

 玲奈は家に帰るとすぐには、自分の部屋には向かわず、押入れの奥にしまってある、自分のアルバムを探した。古ぼけた赤いアルバム。そのアルバムをいくら探っても、3歳以前の私の写真は出てこなかった。玲奈はゆくっりとそのアルバムを閉じると、確信した。私は養女であること。しかし、それを確かめるすべ術はない。それでも、私はこの謎を解かなければならない。この心に引っかかっている『何か』を解くためには。

 星は常に流れている。時と同じく。同じ所を。今、南天を飾っているしし座のレグルスも、去年、一昨年だって流れ続けていた。十五年前のあの日だって。同じ銀色の月が空には輝いていた。あの日だって、裏山からは谷の向こうには、九州地方の中心都市F市の繁華街が明るく輝いていた。永遠の時の営み、古代エジプトのファラオが新年の合図として見つめていたシリウスやその他の星々は常に我々を見つめている。

 三日目の夜、彼は確信していた。これが、逃亡最後の夜になるということを。もしかしたら、人生最期の夜になる可能性があるということ。人生最期の夜にしては寂しいな、聖は自分を自嘲した。
彼は今、北川にいるのだ。銃の指南役だった早坂家の家宝を持って。

「お母さん、明日保険証が必要なの」
玲奈は台所で料理をしている母親に言った。母親は虚につかれた顔をした。
「なんで、必要なの」
母親は慌てて笑顔を作った。
「明日、学校で必要なの。今度の事で学校から保険がおりるかもしれないから、保険証を持ってきなさいって、さっき電話が担任の先生からあったの」
もちろん、そのようなことは決してない。
「困ったわねー。うちの保険証は今お父さんが使っているのよ。そう、先生に言いなさい」
「じゃあ、何か身分証明になるような物はない?」
玲奈はしつこく食い下がった。
「そんな、物ないわよ、うちには。そう、先生に言いなさいってば」
母親の声が少しずつ高くなってきている。
玲奈はさらにしつこく食い下がったが、何も新しい情報は引き出せなかった。

机の上の携帯が鳴っている。玲奈はベッドから手を伸ばして、ベッドの上に起きた。
「はい、もしもし」
「いきなり、言うぞ。今日午後5時に北川ダムの橋のところに来い」
まさにいきなり、聖の声だ。寝ぼけ眼が、いっきに目が醒める。
「5時?今日あたし部活あるんだけど」
玲奈は女子ソフトボール部に所属している。
「つべこべ、言わずにこい。面白い物が見られるから、多分」
聖の明るく笑う声が聞こえてきた。玲奈はその瞬間悟った。あたしはそこへ行かなければならないことを。玲奈の中の『何か』を解くためには。

 九州の中心都市F市最古のダム、北川ダム。大正14年に出来た、いまでも現役のダム。すっかり、黒ずみ建設当時とかなり姿を変えていても、形だけは変わらない。赤い橋があり、重力式のダム。これらは、またあの日が近づいていることを知っているだろうか?刻一刻と迫る時。この錆びた赤い橋はあの日も見ていた。

 街の時計が12時を迎えた時、ポケットの中から聞き覚えのない着信音が聞こえてきた。慌てて、取り出すとグレーの携帯電話だった。適当にいじると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「今日、17時に北川ダムに来い」
思いも寄らぬ、攻撃にたじろいだが、私は落ち着いてその携帯電話をしまった。自分から引っかかりに来るとは。私は運がいいらしい。私は微笑した。

 緑色の公衆電話をフックに戻した。テレフォンカードがけたたましい電子音をたてながら出てきた。聖はそれをすぐに取らず、腕時計を見て、溜息をついた。後、タイムリミットまで5時間。全てが解決するまで、後5時間。それまで、何をしてすごすか。聖は落ち着かない様子でテレフォンカードを抜くと、ゆっくりと公衆電話のボックスの扉をを押した。

 玲奈は数学の教師の上にある時計を見た。時間はすでに12時。後5時間しかない。後5時間後にはあの玲奈の『何か』も全てわかるに違いない。玲奈は改めてそう確信した。
 

CHAPTER7
〜最期の瞬間〜

 聖は北川ダムの橋の真ん中に立った。空は低く、どんよりと雲がたちこめている。風が聖達を吹き飛ばすかのように吹いている。ダムの周りの木はザワザワと揺れ、ダムの水面にはさざ波が立っている。時計の針は午後4時47分を指している。ふいに後ろから声をかけられた。
「こんにちは、早坂聖君」
振り向かなくても誰かすぐわかった。聖はゆっくりと振り向き、落ち着きを持った声で言った。
「アンニョンハシムニカ、アンヨンヒ」
彼が知っている数少ない朝鮮語だ。思わぬ言葉に女は若干驚いた顔をしたが、すぐにもとの微笑に戻った。女はゆっくりと銃を微笑したまま構えた。聖も銃を構えた。近代的な女の銃に比べずいぶんと見劣りするが、何もしないよりはましだ。女の表情が一瞬固くなったが、すぐに微笑に戻り妙にゆっくりとした声で言った。
「その銃は使えないわ。何年も使ってないのに、撃てるはずがないわよ」
聖は安全装置を外し引き金をひいたが、引き金は動かなかった。

 デスクの上の電話が鳴った。巡査長が電話を取った。
「はい、こちら刑事二課」
「こちら、通信室です。たった今、早坂が見つかったという情報が入りました。場所は北川××―×、えーとこれは北川ダムですね。北川PB交番から情報が入りました。北川PB交番からPM警官が向かっています。以上」
あっという間に電話は切れた。
「警部、警部。早坂が発見されました。北川ダムです」
警部は床を鳴らして立った。
「早く行くぞ、おいこら」
警部は言い終わらぬうちに、部屋を出ていた。

 玲奈は走った。学校裏の階段を一段飛ばしで、駆けて行った。玲奈の目にようやく二人の人影が見えてきた。玲奈はすぐにはもう一人が誰かわからなかったが、じきに昨日会った女だとわかった。その時、玲奈の『何か』がはじけた。

 聖は銃を落としていた。相変わらず、二人の間には風が吹き荒れていた。どんよりと不機嫌そうに垂れ込めている空の雲。僅かに揺れ動く緑色の濁ったダムの水面。ダムの周り生い茂る深緑の木々。遠くに見えるF市のタワー。それらは、まるで聖に襲い掛かるような威圧感を持っていた。それに追い討ちをかけるような声が聞こえてきた。
「悪いけど、あなたには死んでもらうわ。秘密が漏れたらそこから波状するのはふさ塞がないといけないのでね」
次の瞬間、聖は女に飛びかかっていた。

 そう、あの夜。あたしのお父さんはあたしのお母さんに`````殺されたのだ。あたしはその瞬間を見ていた。そう、あの女の娘、甲斐雅美として。その両親がいなくなり孤児になったあたしを、東家が引き取ったのだ。なんで、私の誕生日は甲斐雅美と違うんだろう。多分、お母さん(お義母さん?)が、あたしに嘘を教えたのだろう。そう言えば、小学生の頃保険証を使った時決して、あたしに見せてくれなかった。おそらく、あの保険証には本当の誕生日が書いてあると考えて差し支えあるまい。今、完全に思い出した。あたしは、急に躾が厳しくなったのに戸惑ったことを覚えている。たしか、兄か弟がいたはずだ。あの表によると「甲斐俊一」という名の。その時、玲奈は聖の言葉を思い出した。
「偶然だろうけど、こいつと誕生日が一緒なんだよな」
聖は甲斐俊一だったのだ。兄妹がめぐりにめぐり合い、この同じ北川の地を踏んでいるのだ。
 玲奈が前を見たとき、ダムの真ん中にある橋の中央、つまり二人が立っているところまで30mに迫っていた。
 
 女は不意をつかれたらしく、銃を打ち損ねた。二人はしばらくもみあっていたが、直に女が聖を組敷いた。ぎゅっと、目を閉じている聖のこめかみに銃を構えた。
「覚悟しなさい。工作員に勝つのは10年早いわ」
女は完璧なアクセントでいうと、引き金に手をかけた。その時、玲奈の甲高い声が山に木霊した。

「おい、北川ダムのどこだ」
パトカーの中で警部が叫んだ。
「さあ、通報では…。あっ、あそこじゃないんですか」
巡査長が指した先には2人の人間がダムの上に立っていた。顔は確認できなかったが、他に人影は見当たらない。
「あそこだ、急げ」
パトカーはジグザグの山道を砂埃を上げながら駆け上がっていった。

「お母さん、やめて」
玲奈は女に向かって叫んだ。女も聖も動きが止まっていた。
「お母さん、やめて。思い出して、あたしは雅美よ」
女の顔には始めの勝ち誇った顔から、徐々に喜びに変わっていった。女は銃を離すと玲奈をきつくきつく抱きしめた。そして、手の中にいる玲奈にやさしく、涙声で言った。
「おかえり、雅美」
 そう、私は二人の子供を日本に残してきたのだ。北朝鮮のスパイとして日本に送り込まれ、長期に渡って日本に滞在するため、甲斐正という男と結婚したのだ。私も彼が好きだったし、彼の私を愛してくれた。でも、彼は私の秘密を知ってしまった。私は嫌だったが仕方が無かった。彼をこのダムに突き落として祖国北朝鮮に戻ったのだ。二人の子供を残して。

 聖は一瞬何が起こったかわからなかった。いや正直に言うと今でもわからない。判っているのは、女が玲奈を抱きしめていることだけだった。聖は女が落した銃を拾うと、女に照準を合わせた。
「玲奈は離せ。そうでないと、撃つぞ」
自分でも自分の声が上ずっているのが分かる。
「聖、思い出して。この人は私達のお母さんよ」
女の顔に大きな変化があった。
「ねえ、聖。思い出して。あなたは甲斐俊一だったのよ、あたしのお兄さんさんだったのよ」
いつの間にか、両側には警官が揃っていた。玲奈の涙声は続く。
「聖じゃなくて、俊一。あたし達はこの人の子供だったのよ。あたしたちは兄妹だったのよ」
「どうした、玲奈。頭が狂ったのか?何で、俺が甲斐俊一なんだよ。俺は実子だよ、だいたい。寝ぼけたことを言うんじゃない」
聖は女を振り返り、ゆくっりとシニカルな口調でいった。
「玲奈を離せ、そうじゃないと撃つぞ」
「撃ちなさい」
女は聖に向かって言った。
「撃ちなさい、私は所詮子供を捨てた女よ。捨てた子供に撃たれて死ぬなら本望だわ。撃ちなさい」

 私が子供を捨てた女ということは変わらない。昔からいうように、子供は生まれる家を選べないのだ。その選択権のない子供たちを私は捨てたのだ。その子達には殺されても仕方がない。もしかしたら、工作員としてやっていく事に嫌気がさしたのかもしれない。どうせ死ぬのだから、実の子供に殺されるのは最高のはなむけと感じたのかもしれない。

女の最後の言葉は命令口調だった。聖は恐ろしく顔を歪めて引き金を引いた。
「ごめんなさい」
そう言うと、聖は銃を橋の黒光りするアスファルトの上に投げ捨てた。聖は女に抱きつくと一言、
「お母さん」
 

エピローグ
 その後、警官が俊一の周りを取り囲んだのは言うまでもない。しかし、彼の身は潔白なのだ。私は警官達に対して自首した。もちろん、逮捕状がないので私を逮捕することはできない。私は俊一と一緒にパトカーの後部座席に乗り込んだ。私達は共犯者の笑みを浮かべた。
 
「早坂聖」
校長が俊一の名前を読み上げた。卒業証書を受け取る。私が小さく手を振る。隣で、育ての親が両手を大きく振った。俊一はいともおかしそうな笑みを浮かべた。

穏やかな春の日差しの中卒業式は穏やかに進んだ。
「つづきまして、卒業生答辞 卒業生代表 東玲奈」
答辞を読み上げる雅美の後ろ姿には、15年前の後ろ姿の面影を残していた。 
〈FIN〉

あとがき
この小説は一応Keiの処女作に当たります。
なんてことはどうでも良くて、所々文章の語尾の使い方が全然違うことや、 文章の調子が変わるということがありますが、文章が未熟なことと、 完成後何回も書き直ししているせいであります。
まあ、正直に言わせて貰いますと、こんな大昔に書いた作品、今さら恥かしくて読めないのだが、 碌に長編が書けない今、ここで唯一の中篇ぐらいは公開しとこうかな…と思っております。 だから、気にいった長編が出来れば時期にリンクが外される可能性も大です。
その時は、皆様お忘れください(笑)

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