シャトルアラブ

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「全く、ついてない」
僕はタクシーの中でついついこんな独り言を言ってしまった。タクシーの運ちゃんから睨まれるが、僕の知ったこっとではない。ついてないのが、悪いのだ。タクシー代をまけてくれるっていうなら、話は別だが。
 低く垂れ込める雲の下で、冴えない色をしている大都会T**の高層ビルを横目にタクシーは目的地に向けて、高速で――勿論、亀と比べればだが――飛ばしていた。速度メーターは十キロを切っている。
僕はすでに先ほどのインタビューをパソコンにまとめ終わっていた。このメモリが128Mしかないパソコンに、強引にW**の最新型を入れ込んだうえに、やたらと重いことで定評のあるW**を使っているから、全く仕事ははかどらない。しがいないライターをやっていると、パソコンの最新型にさえも買い替えれない。さらには、タッチタイピングの遅さにかけては、ライター仲間でも定評がある。と、見事に三拍子揃った僕が、すでに書き終わっているというのだから、いかにタクシーが遅いのかはご理解いただけると思う。
 そもそも、何からついてないかというと、午前中の取材からついていなかった。児童心理カウンセラーとか称する堅苦しそうなオバサン――いわゆるPTAで文句をつける高そうな眼鏡をかけているオバサンを想像していただければ早い――に、「現代の子供たちが云々」とかいうテーマでインタビューをしていたのだ。
 そのオバサン曰く「子供というのは表現能力が乏しいので、私たちが解釈して上げなけれなりません」だの、「子供の世界は難しい、などと言って逃げてはいけません」だとか。こんなオバサンに、強引な解釈をされた子供の方が可哀想だろう、と思ったのは決して僕だけではあるまい。しまいには、フロイトまで否定しはじめた。「子供たちにはそんなリビドーという物はありません」だの、「フロイトは、子供たちに大人たちの常識を当てはめた最悪の例」だとか。フロイトだかユングだかの話をして、誰が喜ぶと思っているのだろうか。
 そのオバサンの演説が終わったのは、予定時刻を三十分近く過ぎてからだった。午後からも、一本取材の予定が入っていたから、急がなくてはならない。僕は、かなり急いていた。こう言うとき、ついつい昔の癖が出てしまう、ということはよくあるが、今回もそうだった。僕は、地方出身の人間なので、少なくとも昼間は地下鉄よりもタクシーの方が速いというイメージがあったのだ。そこで、タクシーを捕まえてしまったのがまず間違え。さらに言えば、フリーライターという職業のせいで、曜日を失念していたのが二個目の間違え。日曜の昼間の首都高なんて、言うまでもなく混んでいた。首都高だから、途中でタクシーを降りるわけにも行かず、高速道路に拘束されつつ首都高よりも高いビルをのんびりと眺める羽目になってしまったのだ。
 憂鬱な理由はまだある。これから、会う人物だ。今回は、映画監督だという。それも名の売れた監督ならまだしも、自主上映ばかりしてるような新進監督なのだ。正直に言うならば、僕はこの監督の取材の以来を受けた時、この監督の名前を知らなかった。僕だって、映画はそこそこ見ているつもりだが、全く知らなかったのだから意気をそがれるのも無理はないと、自分でも思う。
 この取材を受けた時、知り合いの映画フリークに聞いてみると、こんな話が返ってきた。
「ああ、あの訳のわからない映画の人ね。なんの理由もなく、人を殴ったりする映画。そのあと、ものすごい展開を見せるんだよね。こんな些細な事から、何でこんなにわけのわからない話になるんだ――みたいな。まあ、あれもあれで若い人に――と、言っても少数だけどね――人気があるから不思議なものだよ」
だとか。いかに、僕がやる気をそぐような仕事かご理解をいただけただろうか。

 タクシーは約束の時刻より約10分ほど遅れてで、約束の喫茶店に到着した。さっきまでは、なんとか持っていた天気だが、タクシーの代金――原稿料の安さを考えれば赤字――を払い終え、外を見ると、すでに雨が降り始めていた。
 慌てて、ノートパソコンの入ったカバンを雨よけに、約束の喫茶店に入る。木目を生かした床や壁が売りのアンティーク調のお店で、やや高いが僕は気にいっている――だから、ここを待ち合わせ場所につかったのだが――。喫茶店を一瞥すると、隅の方に「C**旬報」を机の上に置いて、一人座って外を見ている若者を見つけ出した。「C**旬報」を待ち合わせの道具として、使ったのでほぼ間違いないだろう。僕は、頭を何回も下げながら、彼のいるテーブルの方に向かった。
「**さんですか?」
彼は、ええ、とにこやかに笑いながら、僕の名前を聞き返してくる。僕も、にこやかに笑いながら――あくまでも表面上だけだが――、遅れたことを詫びた。
 向かい側に座って、まじまじと彼の顔を見ていると本当に映画監督なのかと疑わしく思えてくるほど、普通の若者スタイルだった。さっきのオバサンが「PTAで喚いてる典型的なオバサン」と定義するならば、今度の若者は「町の中を歩いていても、誰もふりかえらないような、普通の青年」と言ったところだろうか。
 茶髪の髪はそんなに明るくはない。若者の平均ぐらいだろうか。ひょっとしたら、今時珍しく抜いただけかもしれない。グレーのリクルートスーツに濃紺のネクタイといでたちは、映画監督という肩書きには全くあわない。せいぜい、就職活動を始めたばかりの大学生というのが、ピッタリあいそうだ。テレビでリクルーターの諸君の例として、出てきそうなといったらおわかりいただけるだろうか?
顔はいたって柔和で、笑うと頬にはえくぼが浮かぶのが印象的なだけで、女の子にはもてそうだが、男なら会った五分後には忘れてしまいそうな顔だ。格好いいというよりも、可愛いという形容詞が似合うような男の子。僕に与えた印象はそんなところだろうか。少なくとも、メガホン構えて無精ひげはのびほうだいの映画監督というイメージではない。
 年齢は、かなり若そうだ。僕だって、十分若いつもりだが――来年、三十路を迎えるのだけど――その僕よりも五つか、六つ程度は下、いやもっと下なのかもしれない。が、じっと柔和の顔を見ていると、本当に何歳かわからなくなってくる。

色々と遅れたわけを説明した後、早速インタビューにかかる。
「かなり若そうに見えますが、おいくつですか?」
少々、不躾な質問な事は百も承知だが、そう聞かずにはおれなった。
「今月で、二十五歳です」
やや目測よりも上か。それでも、僕の目には彼は実際の年齢よりも幼く見える。
「**さんの映画は、よく意味がわからないなど視聴者から批判されますが、ご自分ではどう思っていらっしゃいますか?」
悪いが、僕は彼の映画を見ていない。全部、自主映画だから、当然ながらDVDやビデオは出ていない。適当に、例の映画フリークやインターネットで風評を集めただけだ。世の中、インタビューする側は大して知らなくても、何とかなるのだ。少なくとも、発行部数が知れているミニコミ紙程度なら。
「確かに、意味不明と思われても仕方ないでしょうね。でも、僕はこれを受け止めてくれる視聴者を求めているし、もしこれがわかってくれない視聴者がいるなとしても、それはそれで全然構わないと思っています」
なるほど、単なる自己中心的な奴か。外見も若者の典型だが、言動も典型的な若者だ。
「ではいわば視聴者疎外にならないのでしょうか?」
思い切って、そんな質問をぶつけてみた。この質問に、少々彼は顔を歪めた。
「うーん、そうですね。確かに、そういう点は出てくると思います。でも、小林秀雄なんかでも、そうだと思うんです。これが、わからない人は出て行ってくれ、みたいな。ほら、小林秀雄の論文なんかだと、ポーンと最初に訳の分からない単語を書いていたりするじゃないですか」
まず、その小林某というのが誰かさえ知らない僕は、適当に頷く。どこかの映画監督だろうか。
「勿論、自分の映画を小林秀雄になぞらえているわけではないですが、ついてれない視聴者は別に構わないというスタンスです。したがって、視聴者疎外ともいえますが、その一部の視聴者が喜んでくれる限り僕は映画を作り続けたいと思っています」
僕は、やはり自己中心的な奴だ、という確信を深めた。
「なるほど、よくわかりました。ところで、どういうコンセプトで映画を作っているんですか」
この質問には、先ほどから徐々に饒舌になっていたこの青年もトーンダウンした。
「うーん、それには僕の少年時代の話が関わってくるんです。いわば、僕の映画はすべて僕の少年時代へのオマージュみたいなものですから」
少年時代…別に、彼の少年時代には全く惹かれなかった。女の子には、もてただろうな、ということぐらいか。
「**さんは子供時代、どんな少年だったんですか?」
が、そこまで行くと、質問者として聞かないわけには行かない。仕方ないから、子供時代の話でも聞いてあげてようか、という気分にもなっていた。
「少年時代ですかー。僕は比較的大人しい子供でしたよ。でも、僕は子供の頃ある事に出会って…、それがいまだに記憶に残っているから僕はこんな誰も見ない映画を作ってるんです」
彼は自分でも、誰も見ないと自覚しているらしい。
「ある事?」
子供が好きそうな怪談話だろうか?という思いが僕の心をかすめた。
「ええ、本当にある事だったんです。あれで、僕は人間の奥深さと浅ましさを同時に感じましたね」
奥深さと浅ましさ・・・一体、どういう話なのだろうか?僕はこの目の前の普通の若者がそんな深遠な言葉を使うほど、変なことってどういうことなのか、興味を――先ほどに比べてだけど――持った。
「それは、どんな話だったんでしょうか」
「聞きますか?」
「はい」
彼は、長いですよ、と念を押し、それでも僕が頷くと、青年はしぶしぶと――いや、内心は喜々とだったかもしれないが――語りだした。

 僕の生まれ故郷は九州の方なんです。もう、こちらに出てきて以来全く里帰りしていません。でも、九州はいい所ですよ。自然はまだ残ってますし。で、僕は九州の山の中、行政的には――K**県になりますが――のある町で育ちました。人口は多分一万人はいたんでしょうけど、よく覚えていません。町に小学校は三つしかなくて、どの学校もひなびた校舎を使っていました。僕が通っていた学校は、辛うじて全学年二クラスずつありました。これでも、過疎化の進む町内としては最大規模の人数だったそうです。都市の方で、育った人からしてみれば信じられないかもしれませんね。ああ、でも最近はドーナツ化現象とやらで中心部は生徒数が減っているそうですが。
 こんな話は、どうでも良かったですよね。そのある出来事というのは、小学校の最終年――つまり六年生の時ですね――に起きたんです。その頃、僕には仲良かった男の子がいました。その子は、名前をリョウといいました。漢字は正確には覚えていませんが、僕の覚えている限りでは、彼は僕の名前は中国が由来なんだ、としきりに話していたので、きっと諸葛亮の亮だったんでしょうね。
 え?中国の昔の国の名前にもある?そう言えば、そうですね。遼や梁なんて国もありました、ありました。いやー、こんな国号にお世話になったのは高校生以来ですね。高校世界史が、こんな所で役に立つとは。
 すいません。またまた脱線してしまいました。ともかく、漢字はよくわかりませんがそのリョウという子供とは、家も近く物心ついた頃から親友でした。いわゆる、幼馴染っていう奴ですね。このリョウっていう子供は、今から思えば本当に積極的な子供でした。全てのことに対して消極的な僕とは対照的な性格でした。そのリョウは、言わば集落の子供たちの長、と言ってもガキ大将みたいに威張ってなくて、皆から人望をも高かったんです。僕も、当然そのグループに居たんですけど、リョウの幼馴染みというだけでナンバー2のような立場に押し上げられちゃってましたね、何故か。でも、その時はうちのグループは大変な問題を抱え込んでいたんですよ。
 どんな大変な問題だったかって?簡潔にいえば、隣の集落の子供たちと戦争状態――と言っても、子供たちのことですからちゃちなものですが――に入っていたんです。発端もくだらないことで、確か遊び場のテリトリーで両者の間で揉めたのが発端でした。でも、その子供たちはかなり真剣だったんです。その遊び場は、天然の遊び場っていうんですか、そういったところで、木登りのしやすそうな木とか秘密基地の作りやすそうな岩陰なんかがぞろぞろありました。だから、僕達にとっては――相手もそうでしょうが――何が何でもそこを抑えたかったんですよ。
 K**県の人間は古来から「肥後もっこす」なんていわれて、非常に頑固者が多いんです。四国のK**県とよく比較されてますから。その頑固者の集まりだから、みんななかなか頑固で全く妥協しませんでした。学校でも、その集落の者とは一切話しませんでしたし、帰りすがらや遊びで偶然会っても全く声を掛けませんでした。その学校には大体5つぐらい集落から通っていたんですが、僕らの集落と隣の集落の人間が全く口を聞かないのでクラス自体がギクシャクした雰囲気でしていましたね。
 今の子供たちはすぐキレルって言われますよね?でも、僕たちはそうでもなかった。お互いかなり本気だった事は確かですが、暴力沙汰にはなかなか発展しなかったんです。そこは、田舎の子供たち。みんな力はありましたから、暴力沙汰になればどんなとんでもない事が起こるかわかっていたんでしょうね。でも、暴力になって吹き出ない分余計問題は長期化する。
ジュンヤっていう他の集落のリーダーが一度音頭を取って、仲直りさせようとしたんですけど無駄でした。逆に、その集落と隣の集落のグループ同士も仲が悪くなっていって…。三つ巴というものほど、厄介なものはないですから。リョウは賢かった――今思えばいや政治的な奴だったと表現した方がいいかもしれませんが――そんな奴だったからその集落まで味方に付けてしまったんです。
 話がわかりにくくなってきましたね。ここでは、私のいた集落をA集落として、A集落の子供たちのグループをグループA、対立していた隣の集落をB集落として子供たちをグループB、ジュンヤの住んでいた集落をC集落で、ジュンヤの率いていたグループをCとしましょうか。ちなみに、グループBのリーダーはカズナリという体格のいい子供でした。多分、喧嘩させたらクラス内で一位だったでしょうね。勿論、この三集落とも大人たちは仲良く暮らしていましたし、大人たちは農作業にかまけていて子供たちの見えない争いには全く気付きませんでした。だから、あそこまでの大事件に発達したんだと思います。
 この三グループが、とんでもない争いを始めたのは七月の暑い盛りの頃でした。僕が、さっきから言っているある事と言ったのと絡み合ってくるんですが、その七月の暑い盛りに、とうとう暴力沙汰に発展したんです。しかも、発端は私が殴られた事だったんですよ。

 そこで、彼は一旦話を切ってコーヒーに口をつけた。
「この間の佐世保の事件覚えています?」
「ええ」
勿論、忘れるわけはない。小学六年生の女の子が同級生の女の子をカッターナイフで刺し殺した事件だ。あれは、世間に与えたダメージは本当に大きかった。最近は、さすがになり潜めたが、ついこの間までマスコミは少年法の網にかかりながらも報道合戦を繰り返していた。
「あの事件で、一番ショッキングだったことは何ですか?」
「そうですね。やっぱり、年齢ですねえ。十二才なんてまだまだ子供っていうイメージですから」
僕は、彼のいう質問の真意を取り損ねたので、仕方なく素直に答えた。
「そうですか。勿論、人それぞれだと思います。でも、僕が個人的に一番衝撃を受けたのは被害者の行動でした。彼女は、被害者を殺したあと、返り血で血まみれの服のまま戻ってきた、ということでした。小学生が人殺しをする、というのは全く驚きませんでした。それ以前にも、小学生が金属バットで母親を殺した、という事件もしばしばあっていましたから。そもそも、小学生というのは理性よりも感情が先走るのが普通です。だから、その事に関しては全く驚きはなかったんです。でも、普通の小学生は間違えて相手を殺した場合確実に理性を失うでしょう。でも、彼女は違った。まるっきり、落ち着いていたんです。殺害後の担任の質問にも的確に答えています。僕なら、もし人を殺したら、捕まるとわかっていてもまずは逃げますよ。勿論、途中で自首することもありえるでしょうが。
 だから、僕は彼女の取った行為が全く理解できないんです。神戸の事件にしても、彼は犯罪をゲーム化していました。だけど、告発されたがっていた、とも取れるんです。だから、無理やりだけど理解できる。でも、僕は彼女の行動が全く理解できないんです。理解できないものは、僕に取っては恐怖――ええ、この言葉が最も適当だと思います――なんです。
 これからお話する事件の発端の話も全く理解できない話なんです。だから、僕はこれに恐怖感を抱いているんです。それが、発展していってさらに大きな事件に発展したことを考えると…、今でも鳥肌が立ちますよ」
そこで、彼はコーヒーに口をつけ、しばらく外の雨を眺め、再び語り始めた。

 何で、殴られたか?これはいまだに僕にもわかりません。だから、こうしてお話をしようと思い立ったんです。僕は先ほども言いましたようにグループbQのような位置に居ました。でも、大して目だってなかったんです。グループ内ではナンバー2の位置に居ても、対外的にはそうでもなかった。やっぱり、他のグループには腕っ節の強い奴の方が印象に残りますから。僕は、その頃からひ弱でしたし、大して目立ってなかったんです。
 どれくらいひ弱だったか?と言われても困りますが…。では、こういうエピソードなら信じていただけるでしょうか?僕は、小学校低学年の頃からひ弱でしたから、よくいじめられたんです。何しろ、その頃は男の子よりも女の子の方が友達が多かったぐらいですから。田舎では、学校の成績がいいというのはいじめの対象になりやすかったのもあるかもしれません。ともかく、おとなしい子供でした。そのおとなしい子供を救ってくれたのが例の幼馴染のリョウだったんです。リョウは運動も頭も良かったので、低学年の頃からクラスの中心的存在でした。それ以来、リョウとは単なる幼馴染から親友に昇格したんです。
 そんな僕でしたから、他のグループは僕がナンバー2なんて思ってもなかったでしょうね。
 当時は、本当に一触一発の状態だったと思います。お互い、頑固者同士なかなか妥協せず、どこからが暴力を振るえば暴力の応酬になるのは火を見るよりも明らかでした。道ですれ違えば、お互い無視しながらも横目で相手をちらっと見ている…そんな状態でした。当時の田舎の子供は、変にませてませんからね。目には目を、歯に歯を、みたいなところがありましたから…。
 その一触一発の中、僕は本当に危険な真似をしていました。実は、好きな女の子がB集落に住んでいたんです。小学校6年生で初恋は遅い、と言われればそれまでですが、事実初恋でした。クラスは小学校三年生の頃からずっと同じで、結構仲良かったんです。僕にも当時仲良かった女子っていうのはそこそこいました。正確に言うと、一番仲良かった女友達の友達、みたいなポジションにいた子だったんですけどね。
 え?その子の名前ですか?いやー、恥かしいなあ、是非ともそれだけは勘弁して欲しいものです。ここは仮に、 Hさんとしておきましょう。そのHさんは、ものすごい大人しい子でした。その友達――僕と一番仲良かった女子ですね――とは、対象的でした。お互い、太陽に寄り添う影みたいな所がありましから、お互いそういうところが気に入ったのかもしれません。勿論、行動派ではなかったですし、いつも喋っていなかったみたいな印象があります。やや、僕を見上げる目線だったような気がしますが…、女の子のほうが成長が早いからそういうことはないとは思うんですけどね。銀縁メガネに、大抵ピンク色ワンピースを着ていた覚えがあります。ともかく、おとしやかな子供でした。ああでも、誘われればことわり切れない性格でもありましたね。
 ああ、そう言えばその子ついて、もう一つ印象的な事がありました。彼女の鉛筆は、いつもカッターナイフで削ってあったんですよ。多分、お母さんだかお爺さんだかが毎日削ってくれてるそうです。いくらなんでも、すでに鉛筆削りは田舎にも出回っていましたから、余計不思議に思えたんですね。家は、確か服屋さんを営んでいました。小さな町ですから、服屋さんなんて数軒しかないのですが、その中でもかなり大きい店――と言っても、小さな町のことですが――を営んでいました。
 ああ、かなり脱線してしまいましたね。すいません。ついつい、昔話っていうのは長くなってしまうものですよね。ご老人方の昔話を、老害と呼ぶ人もいるのもわかります。個人的には、かなり失礼な言い草だとは思いますが。
 その日は、クラブ活動があっていました。僕は、ソフトボール部に所属していました。運動はからっきし駄目な僕でしたが、野球だけはそこそこ出来たんです。何でか、よくわかりませんが、巨人戦なんかはよく見てました。
 K**県は、昔から巨人ファンが多いんです。打撃の神様と呼ばれるK**T**を生んだ土地柄のせいでしょうけど。ダイエーは当時、福岡に移ってきたばかりでほとんど定着していませんでしたし。でも、当時の巨人は弱くて、弱くて…、という話はどうでもいいですよね。
 その日は、たまたま僕が片付けの当番に当たっていてちょっと帰りが遅くなったんです。いつもは、ソフト部の同じ集落の奴と帰るのですが。そこで、帰ろうとしたときたまたま校門で彼女、つまりHさんですね、と出会ったんです。先ほど、仲良かったといいましたが、出会えば一緒に帰るぐらいの仲でした。その時も、一緒に帰ったんです。
 そう言えば、その一ヶ月前ぐらいに社会科見学があったんですよ。自由行動の時に、僕は何でか忘れましたがそのHさんと一緒にまわったんですよね。他は、男子なら男子で、女子なら女子でグループを作っていたのに。このことは、今でも不思議といえば不思議なんですけど、それぐらい仲が良かったのかもしれませんが、よくは覚えてません。結構、こそこそとまわっていたせいか、全く噂にもなりませんでした。
 だが、今回は社会科見学の時とは事情が違います。彼女は当然グループBに所属していましたから、無視するべきだったと言われればそうなんですが。男の子のグループと女の子のグループは分かれていたとは言うものの、結果的には田舎の方では集落意識は強いですから、グループAとグループBの男の子が対立すると同時に、女の子も対立気味でした。だから、かなりご法度だったと言えるでしょうね。
 そう言えば、田舎の事ですから、学校はかなり遠かったんです。近い方のB集落でさえ、約二十分はかかりました。僕の住んでいたA集落にいたっては、子供の足だと優に三十分はかかりましたね。C集落や、その他の集落は学校の反対側にあったのですが、A集落と、B集落は帰り道が途中まで一緒なんです。そっちがメインストリートだったんですが、実は裏の道があったんですよ。ほら、子供たちってよく変な道を見つけ出したがるじゃなですか、あれですよ。普通は学校の東門の前の道をまっすぐ行くと、Y字路にぶつかるんです。それを、左に行けばB集落、右に行けばA集落だったんです。大体、このルートで行くとさっき言った時間で目的地に着きます。それに対して、裏の道は学校の西門から出て、そのまま北上すると大きな国道にぶつかるんです。その国道を東側にしばらくいくと、右側にガソリンスタンドが見えてくるので、その横の道――本当に、小さい農道でしたが――を南下するとB集落の裏に出るんです。ようするに、一山迂回していく道ですね。
勿論、みんなこの道は知っていましたが、余りにも遠回りになるので誰も使いませんでした。確か、このルートだとB集落まで四十分近くかかったはずです。メインストリートの二倍ですから、いくら探検好きな子供たちでも使いませんよね。
 でも、僕たちはそのルートを使ったんですよ。勿論、メインストリートを行ってはやされるのも嫌だったのですが、それ以上にB集落の子供と一緒に歩いているのを見られたら…、という危惧の方が強かったですね。なんて、自己保身に長けたナンバー2なんでしょうね。我ながら、情けないです。
 そのとき、彼女と何を話したかは覚えてません。大抵、男の子は好きな子と一緒に居ると何も喋れなかったりしますから。単なる、当時はうつつを抜かしていただけかもしれませんが。でも、その時彼女はちょっと下向きに歩いていました。でも、いつもそんな感じだったので大して気にはかけませんでしたが。
 ようやく、長い長い四十分の道のりを終え、ようやくB集落の裏に出ました。もう、すでに僕はバテバテでした。おそらく、彼女も同様でしょう。先ほどからいってる通りおとなしい子で、運動なんかはからきし駄目な子でしたから。
 そこで別れて僕は再びもときた道を再び戻り始めました。ここから、僕が住んでいたA集落に戻るには、B集落から学校に行く道を辿って、Y字路のところを学校側に曲がらず、その反対方向に曲がるのが一番が速かったんです。大体、十五分ぐらいですかね。でも、僕はその道は通れませんでした。B集落の中を突っ切るのが、怖かったんです。大抵、彼らは放課後は自分の集落の中で遊んでいましたから。そう言えば、その頃は問題の遊び場は私たちが抑えていたんですね。だから、確実にB集落の中で遊んでいた、と僕は思ったんでしょうし、実際そうだったんでしょうけど。
 というわけで、僕は再び学校への道を戻り始めました。こういう時って、ものすごく遠く感じるんですよね。現に四十分の道のりを一回行って、また戻るって言うんですから。今考えても、ぞっとしますよ。前からも言ってるように、体力には全く自信がありませんでしたから。
 そんなへとへとの僕の前に、B集落の奴らが学校の方から四、五人で歩いてきたのです。確か、学校まであと十分ぐらいの所だったでしょうか。何故、こんなところにB集落の奴らがいるのか?わけがわかりませんでしたよ。何せ、B集落から学校経由で、こんな所に出没するには三十分近く歩かなければなりませんでしたし、当然彼らのテリトリーどころか、グループCがよく遊び場にしている付近でしたから。
 でも、僕はそのまま横を通り過ぎようと思いました。グループBの奴らだって、ここでグループAの人間と喧嘩はしたくないだろうし、さっきも言っていたように僕は目立たない子供だったので、個人的な恨みはないはず、と僕は思っていました。横をさりげなく――見てみぬふりをして――通り過ぎようとしました。が、そうはいきませんでした。
 いきなり、僕を殴ってきたんです。それも、殴ったのはグループBの中心・カズナリでした。彼は、体格のよさだけは一級品でした。そんな奴に、貧弱な体格の上にへとへとだった僕はひとたまりもありませんでしたね。横倒しになり、あとは踏んだり蹴ったりで…全く抵抗できませんでした。色々と言われたような、気がしますが全く覚えていません。でも、彼らの目は真剣でした。決して、弱いものを苛めようとかいう、そういう目ではなかったですね。なんか、僕に個人的な恨みがあるみたいな…。
 しばらく、踏んだり蹴ったりの状態が続いていました。僕も意識が朦朧としていて、何がなんだかわからなくなっていました。何か、声がしたかと思ったらピタっと僕への攻撃が止みましたね。そして、しばらく言い争っていた声が聞こえていました。僕は体の節々が痛んでいたましたし、到底立てる状況じゃありませんでした。仕方ないので、顔だけそちらの方を向けるとグループBの後姿の向こうには、グループCが、その前にジュンヤが先頭に立っていました。何か、言い争いをしているようでしたが、よく聞こえません。どうやら、グループBの奴らが僕をいじめている所に、グループCが通りかかったようでした。この時は、本当に僕は運命の悪戯に感謝しましたよ、って勿論子供の頃にそんな風な表現をしっていたわけがないんですが。
 しばらく、言い争いをしていたようでしたが、埒があきません。ジュンヤは人望でグループをまとめていた様な奴なので、決して体力に恵まれていたわけでもないですし、基本的に平和主義を貫いていた奴でした。ここでためしに喧嘩をしてみた所で、数はグループCの方が多かったのですが、体力の差を差し引くと勝敗はなんとも言えません。それに、ジュンヤ自身は喧嘩をする気はなさそうでした。
 いい加減、言い争いに飽きたのか、カズナリがジュンヤに先制攻撃を仕掛けてきました。ところが、ジュンヤはカズナリのパンチを軽くよけると、口笛を吹きました。このあとの展開には、さすがに度肝を抜きましたよ。グループBの奴らに向けて、周囲の草むらからいっきにパチンコが打ち込まれたんですから。僕は、倒れていて姿勢が低かったので、石はあたりませんでしたが、カズナリ達は相当痛がっていましたね。あとで、聞いた話ですが、ジュンヤは言い争いをしている間に、周囲の草むらに下級生を潜り込ませていたらしいですね。で、ジュンヤが口笛を吹いたら、奴らを攻撃しろと、命令してね。ジュンヤ曰く「相手が殴ってくるまで、口笛を吹くつもりはなかった」っていうのが、ジュンヤらしいですが…。
 それはともかく、そのあとグループBの奴らを追いやったあと、僕を快方してくれました。ちゃんと、A集落まで下級生を使わせたいたらしく、後から慌ててリョウが走ってきましたね。その後は、痛いやら、嬉しいやら、でさっぱり覚えていません。唯一覚えているのは、傷が三日経っても治らなかった事ぐらいですかね。

 青年はそこで一旦話を切った。
「結局、僕は何で殴られたのかはわからずしまいでした。でも、この話はまだ続きがあるんです」
「続き?」
僕は反復した。こんな中途半端な展開で終わられては困るという意味もあった。気付いたら、僕は彼の話に引き込まれていたのだ。
「はい。この後は、どんどん学校は荒れていきました」  
そう言って、彼はコーヒーに口をつけ再び話し始めた。

 本当の意味で、学校は荒れていきました。六年一組の対立は、二組に下級生に飛び火し、ますます学校中が荒れていきました。学校の先生も、するすべがない、というところでしょうか。みんな、学校で表立った事はやりませんでしたから、先生達も深く関与できなかったんです。親たちは、みんな無関心でしたし。
 リョウとカズナリの対立は深まるばかりで、様々な攻撃を繰り返していました。頭のかしこいリョウが行った手段は、グループBを分離させる作戦でした。グループBは、カズナリの暴力で押さえ込まれていたような集団なので、下級生にはあまり人望がないことに目をつけたんですね。B集落の女の子でリーダー格の少女を味方に、取り入ってしまったんですよ、本当に。そのやり方がすさまじくて、ラブレター作戦。一杯、小難しそうな本なんかをよく読んでいましたが、そんなことどこから仕入れてきたんでしょうね。ともかく、リーダー格の少女を自分の本心を裏切って、彼女――まあ、小学生のことですけどね――にしてしまったんです。
 その後、リョウは五年生でリーダー格の少年に近づき、下級生まで分離させました。六年生の中でも勝手に対立が出てきて、カズナリの周りはほとんど丸裸でした。ジュンヤも上手く立ち回っていて、カズナリ達を無視――今でいうとシカとですね――する作戦を取っていたんです。
 とても、子供たちの話とは思えない?確かに、そうですね。今、思えば全くその通りです。でも、現実にこう言うことがあったんですから仕方ないんです。リョウとジュンヤの頭の良さがこう言う結果になったんでしょうね。
 でも、リョウとジュンヤは最後の最後のところで、ずっと食い違っていました。リョウは強硬派でした。カズナリに怪我をさせようという、今から思えばとんでもないことまで発言していました。それに対し、ジュンヤは現状維持――つまり、シカと状態ですね――を主張していました。最終的には、両者とも僕に意見を求めてきましたが、何とも僕は何とも言えませんでしたね。だって、暴力は…。
 ああ、でも僕としては、一番不思議な事があったんです。例の彼女――Hさんですね――は、最後の最後までグループBに属していたんです。リーダー格の女の子が謀反を起こしちゃったから、ほとんどの女の子がカズナリを裏切っていたんです。でも、HさんだけがずっとグループBに属していました。今まで、女子同士で帰っていたいたのに、今度の事件があってからはカズナリ達と一緒に帰ってるんです。グループAとグループBの対立のせいで、僕は彼女はあの事件以後全く話していなかったんです。時々、僕に視線を投げかけてくるんですけど、何ともいえない視線でしたね。こっちが射竦められているみたいな…。本当に、その当時は心配だったんです。彼女はひょっとしたら、抜け出したいのに抜け出せれてないのじゃないかって。彼の暴力に押さえ込まれているんじゃないかって。もし、そうならばいかに彼女を救い出すか…。本当に、心は揺れていました。
 その日も、リョウとジュンヤは徹底口論をしていました。武力行使か現状維持か。一応、ナンバー2の立場から僕と、グループCからサブリーダーが一人、一緒にいたんですが、二人とも何も発言できませんでした。何しろ、彼らの話は小学生が話すにしてはやけにスケールが大きい話をしていましたから。が、その日は、何を思ったのかそのグループCのサブリーダーが発言したんです。ジュンヤに、リョウの意見に賛成する、と発言したんです。その子自体は、ジュンヤの陰に隠れていて目立つ子供ではなかったのですが、意外に気が短かったのかもしれません。こうやって、議論するのに飽きたのだけかもしれません。ともかく、その子はリョウの側に回ったんです。
 この時のジュンヤの目は忘れられません。元々、人がいい子供でしたから、まさか自分の腹心が裏切るとは思ってなかったんでしょう。本当に世界に裏切られたような目をしていました。そして、リョウは僕にも了解を求めました。正当なる仕返しに、賛成してくれるか?
 リョウは普段は「暴力」や「武力」なんていう言葉を使っていたのに、この時だけは「仕返し」と表現でしました。グループCのサブリーダーさえ、賛成したのに僕が反対したら…、という自己保身の気持ちもありました。そして、彼女を救いたい、という気持ちがありました。そして、僕は無意識のうちに頷いていました。
 リョウは僕の頷きを確認すると、席を立って宣言しました。
「決まりだ。来週の月曜日、作戦を決行する」
と。ジュンヤはしばらく呆気に取られていましたが、リョウに猛抗議を始めましたが、リョウは全く聞く耳を持ちませんでした。
 そして、その時すでにリョウはその恐ろしい計画というのを練り上げていたんです。
 ただ、後からリョウに聞いた話に寄ると、リョウはグループCのサブリーダーに根回しをしていたらしいですね。まあ、総会屋みたいなもんですよ。

 その作戦とは、下手すれば死に至るかもしれない、とリョウが語っていた通りえげつないものでした。何故、来週の月曜日と言ったかというと、その日は丁度台風がやってくる前日でした。週間天気予報は当たりませんが、台風予報はおおよそ当たりますからね。それに、昔から九州は台風が多いですし。
 早くも、その日は翌日は休校と決まっていましたし、その日も早帰りとなりました。リョウの思いが、まさに台風に通じたの如く台風は九州を直撃するルートを通りそうでした。早帰りが決定すると、リョウはウチのグループの下級生達に例の場所に急ぐように指示をしました。例の場所とは…今思い出しても、怖い所ですが、片側は草むらでもう片側は崖になっている所でした。その日は、台風が近づいてきている事もあって、風も強く、雨も降っていました。もうお解かりかと思います。リョウは帰り道の彼らを崖から突き落とそうとしていたんです。勿論、その崖だってそんなに急ではありません。せいぜい三十度から四五度ぐらいでしたし、高さも10メートルもありませんでした。普段なら、落とされても木に捕まれば大事には至らなかったでしょうが、その日は雨が降っており、地面はすべりやすく、木にもつかまりにくいという最悪の――リョウからすれば絶好の――コンディションでした。
 リョウとジュンヤはその日まで、討論を続けていました。ジュンヤも、一歩も引き下がらなかったですし、リョウも一歩も引き下がらなかった。二人は、学校が終わってもずっと校門のところで、口論をしていましたね。よくも、飽きないものです。でも、後から聞いた話によればリョウの作戦だったらしいですね。ジュンヤはどうしてやるというならば、実力行使に出てでも阻止するつもりだったらしいですね、どうやら。またもや、パチンコらしいですけど。余り喧嘩を好まないジュンヤにとって、相手に一時的なダメージを与えるだけのパチンコは、理想の武器だったんでしょうね。例のリョウが手なづけたグループCのサブリーダーのお陰で、今度のジュンヤの作戦も、筒抜けだったんです。だから、ジュンヤを学校に引き止めておいて、作戦を実行させないようにしていたらしいですね。グループCの下級生は統率が取れていましたから、ジュンヤの指示なしには動かないですから。
 その間に、リョウは下級生を例の場所に急がせていました。指揮も他の奴に任せていたんですね。僕じゃ、信用がないと思われたんですかね。それとも、最初の方は渋っていたから、裏切るかもしれない、とでも思ったのかもしれません。現に、僕はあの時の作戦の詳細まで知っていたら、リョウを裏切ってまでも、阻止に全力を傾けたでしょうね。
 どんな作戦かって?本当に、言葉どおりの意味で容赦ない作戦でした。道の途中に大きな石を置いたんですね。どこから持ってきたのか、どうやって持ってきたかはよくわかりませんが、とんでもない大きな石でした。狭い道ですけれど、道の半分をふさいでいましたから。それを、道の真ん中より草むら側に置いておくんです。そして、草むらの中に下級生が隠れて、グループBの奴らが通ったら一気に石を押して、彼らを崖に突き落とす…、本当に今考えてもえげつない作戦です。
 僕はリョウとジュンヤとの言い争いにも愛想をつかして、二人に気付かれぬよう学校を抜け出して例の場所を目指しました。その時は、作戦の詳細を知らなかったのでてっきりカズナリだけを崖から突き落とすのかと思っていました。まさか、グループB丸ごと突き落とそうなんていう計画ということは、僕は知りませんでした。というより、リョウがわざと教えなかったんしょうね。
 でも、その時は何となく悪い予感がしていました。何でかわかりません。その時の天気は、雨はそんなに降っていませんでしたが、風はかなり強かったんです。校門を出た僕は急いで、A集落とB集落への道――先程、言いましたように途中まで同じ道でした――を走っていきました。しばらくすると、カズナリを中心としたグループBの奴らを見つけることが出来ました。かつては少なくとも十人近くいたはずなのに、今や四、五人しかいません。そして、その四、五人の中にHさんも入っていました。
 彼らは徐々に例の場所に近づいていきます。僕は、気付かれないように彼らをこっそり尾行していました。一見するとHさんも、楽しそうに笑っていました。でも、彼女はそれはお付き合いの笑いだったんでしょう。だって、彼女が今までそんなに笑っているのを僕は見たことありませんでした。
 そして、例の場所が見えてきました。その道に置かれていた石は本当に大きなものでした。何せ、道の半分以上はその石でふさいでいましたから、彼らは一列になったんです。口々に、朝にこんな大きな石あったかな、などと言いながら。そして、カズナリが一番細い所に入った途端、石はわずかに動きました。しかし、石が重すぎたんです。石はわずかしか動かず、カズナリはそのまま通り抜けてしまったんです。そして、石が本格的に動いたのはカズナリに続いていたHさんが通っていた時でした。言うまでもなくHさんは崖下に落ちていきましたよ。
 生き残ったカズナリは、ようやく襲撃に気付いたらしく、石の裏側に回り込みました。でも、僕にはそんなことをしている暇はなかった。僕も、木を伝って崖に飛び降りていきましたよ。本当はグループBの奴らが助けに行くべきなんでしょうけど、彼らは襲撃犯を挙げることしか考えてないようでした。情けない事に、石を動かした実行犯の指揮をとっていた奴が、指揮を取れなかったらしく、数で上回るはずの我らがグループAは喧嘩に惨敗しているようでした。リョウの作戦は失敗した、その時に直感しましたよ。
 でも、僕は崖上のことよりも崖下の彼女の方が気になりました。木を伝い…といっても、先程も言っていたように風が強かった上に、雨も若干降っていたので、どちらかというと崖を這うように…といった方が正しかったでしょう。大した崖ではないとはいえ、怪我は免れないでしょう。いや、当時の僕の頭の中には、ひょっとしたら…という思いのほうが強かったですね。
 そして、僕は前進泥まみれになりながらようやく崖下に到達しました。雨も風も強くなっていました。そこには、パステル調のワンピースを泥まみれにした彼女が横たわっていましたよ。彼女は、顔を起こして僕を見つけました。そして、彼女は…

「『近寄らないで』って言ったんです」
そう言って、若者は長い昔話を打ち切った。
「きっと、グループAに属していた僕が怖かったんでしょうね。数ヶ月前までは、仲良くしていたのに、理不尽な暴力によって、とうとう僕は嫌われてしまったんですよ。
 本当に、世の中って不思議ですね。あんな些細で理不尽な暴力が、僕と彼女の間に決定的な溝をよんだですよ。こうやって、僕の苦い初恋話幕を閉じるんですよ」
そう言って、彼はコーヒーを飲み干した。

 そうやって、僕はインタビューは終わった。彼が去っていった椅子を見ながら、今の話を反復している間に、一つの言葉を思い出した。
「子供というのは表現能力が乏しいので、私たちが解釈して上げなけれなりません」
午前中、あのPTA風のオバサンが言った名言(迷言?)だ。
 そう、子供たちは表現能力に乏しい。それが全ての元凶だったのだ。彼の話は綺麗に終わりすぎている。

 僕もあるエピソードがある。小学校三年ぐらいだろうか。好きな女の子と、自分は仲いいつもりでいた。実に、当時の写真を見ても、学習発表会の時に一緒に並んでいたりもしている。後から思えば、仲がいいと思っていたのはこっち側だけで、相手から見れば邪魔だっただけのようなのだ。
 ある日、先生に呼ばれて「**ちゃんの色鉛筆を壊したりした?」と聞かれて、全く返事が出なかった。自分は全くそんな記憶がなかったからだ。というより、その時は衝撃の方が大きかったのだ。**にいたずらするわけがない…みたいな確信を知らず知らずのうちにもっていたからだ。
 何のことはない、そもそもが理不尽な暴力なんてものではなかったのだ。彼が語ったのは、僕とH**さんは仲がいいという勝手な固定観念の元語られたの物語の側面にしか過ぎなかったのだ。
 表現能力に乏しい少年が、好きな子に接する時知らず知らずのうちにどんな態度を取ってしまうだろうか…言うまでもない。平気で、辛辣なことを言う、彼女の持ち物にいたずらする等々、直接的な暴力以外でいじめるのだ。
 すべてはそれで解決する。「彼女は誘われればことわり切れない性格」だったのだ。社会科見学の時も、クラブ活動が終わった時も誘われたから、嫌々ついて来ただけなのだ。相思相愛なんて夢物語なのだ。
 そして、彼は何故グループBがあそこに現れたかを疑問視していたが、何の事はない。どうせ、その彼女との道すがら、彼女にいろいろといって本人の気付かない間に、いじめたのだろう。集落Bに戻った彼女は、ついカズナリという少年に助けを求めた。グループAの襲撃と早とちりしたカズナリは、彼を捕まえる為、逆周りで着ただけの話なのだ。集落Bから学校までメインストリートを辿れば二十分。この時点で、彼はまだ学校までの道のりを半分のこしたいた。従って、彼らが衝突するのはお互い十分程度歩いた所、つまり彼の語った「学校まであと十分ぐらいの所」でぶつかるのも当然なのだ。それも、彼らは最初から彼をなぐるつもりでいたのだし。
 そして、彼女は彼のいるグループAの方には寝返りたくなかったのも当然だ。だから、彼女は最後までグループBに属していたのだ。
 彼女の最後の科白も言うまでもない。「あなたが嫌いだった」と遠まわしながら――本人は精一杯――表現したのだ。
 それに気付かなかった彼は…、やはり自己中心的な奴と言わなければならないだろう。そこを克服しない限り、彼の映画は内輪受けのままだろう。

 ここまで、考え終わると僕は思い切り椅子を蹴って立ち上がった。会計を払って、外に出るとすでに空は晴れていた。残念ながら、台風が来る気配はない。
 地下鉄の中に乗り込みながら、僕は別の考えを思いついた。
 本当は、彼はすべての真実を知っていたのかもしれない。そう言えば、「小学生というのは理性よりも感情が先走るのが普通です」と言っていた。これは、ひょっとしたら好きな子をいじめてしまった自分の事を指していたのかもしれない。でも、彼は「彼女は彼を嫌いだった」という事実を認めたくない気持ちから、無意識のうちにああいう結論を導いたのかもしれない。
 まあ、どっちにせよその妙なプライドが崩れない限り彼の映画は売れないだろう。

では、彼がいつか彼自身に克つ日に

あとがき
『続北川伝説』の代わりに、こうやって短編をアップする運びになりました。これは諸事情により、秘蔵温存中だったんですが 『続北川伝説』の構想が余りにも複雑すぎまして、あと2ヶ月程度はかかりそうだったために、結局秘蔵温存中の短編をupすることになしました。 イマイチ、本格っぽくないですが、自称「一応本格心理ミステリ的安楽椅子探偵物」です。
ちなみに、個人的に恋愛物(まあ初恋小説も含むんですかね?)を書くのは初めてなので、心理面では自信ないですが… (一番、自信ないのはこいつらが“ませすぎ”って事だけど・笑)。
まあ、愉しんでいただければこれ以上嬉しい事はありません。

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